あるむふぁっきら

福岡の大学生による雑記帳。

ガリバー旅行記 【読書感想文】 

原民喜のガリバー旅行記 (1977年) (ものがたり図書館)

青空文庫でスウィフトの「ガリバー旅行記」(ガリヴァー旅行記)を読んだ。
もともとは風刺小説として書かれたことで有名な作品だ。しかし、現代の日本に住む僕たちは小人の財務大臣が誰を表しているのか、醜い人型生物が何の比喩なのか理解することは難しい。

それでも、読みとるべき教訓や考えがある。

小人と巨人と人間の対比

第1部と第2部は、小人の国と巨人の国という対比になっている。


小人の国は隣国と「卵の割り方」というごくささいなくだらないことが原因で戦争をしている。誰もがこれを愚かなことだと笑うだろう。

一方、巨人の国でガリバーが巨人国王に鉄砲や爆弾といった武器について、どんなに効果的に敵を制圧できるか説き、お望みならば製法をお教えしますと言った時の国王の反応はこうだ。

お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない。そんな、汚らわしい奴の秘密は、たとえこの王国の半分をなくしても、余は知りたくないのだ。

ガリバー(読者)から見た「小人」と、「巨人」から見たガリバーが同じ存在であることに気付かされる。
体が小さくてつまらない理由で戦争をしているかわいそうな小人たちと、恐ろしい殺戮兵器を作って同族の人間を倒すことに一種の喜びすら覚えている人間とに本質的な違いはないとしているのだ。

ラピュタ

第3部でガリバーは、「ラピュタ」と呼ばれる空を飛ぶ島に拾われることになる。
その島の住民はひたすら理論や数字、物事の効率化にうつつを抜かし、実際の生活は悲惨なものだった。

家や服を作る際も、まともな採寸をせずに計算だけで図面を描くために、どこかが歪んだものができあがる。
生活を効率化するために大学ではさまざまな研究がおこなわれるが、研究者たちはみな自分の思考に凝り固まり、実生活に役立つものは全くできあがらない。
ついには「言葉を話すことは疲れるし時間の無駄である」などと主張する者まで現れた。

スウィフトがこれを書いた18世紀からは時代が流れて彼の本来の思惑とは違うであろうが、現代の科学技術が生活を便利にしてきた一方で公害や温暖化などの人災をもたらしてきたことに通じるものがあると思った。



興味深いのはこの第3部の終盤で、ガリバーが日本に立ち寄っていることである。
当時の実際の日本は江戸時代で鎖国体制をとっているため、イギリス人であるガリバーはオランダ人だと偽ることにする、といった細かい描写もされている。

海外からすると日本は、小人や巨人の国と同じように正体不明の謎の国だったのだろうか?と考えた。

外国から見た中世・近世の日本についてはルイス・フロイスの日本史が興味深いと聞いたので、近いうちに読んでみたい。


人間嫌いに

第4部では、完璧な理性をもった馬たちによって飼われている、知性のない人型生物「ヤーフ」が登場する。容貌が醜くて爪が長い毛むくじゃらであり、言葉をしゃべれないこと以外は人間によく似ているので、ガリバーは「ヤーフ」として馬の主人に仕えることになる。ヤーフがいかに貪欲で残酷で愚かな生物かを主人から聞かされるうちに、ガリバーは自分たち人間が外見ばかりか内面もヤーフに似ていると感じ始める。

数年後に彼は人間界への帰還を果たすが、周りの人間と「ヤーフ」の姿が重なり、自らの妻子でさえも受け入れられなくなってしまう。
第2部での、人間が非常にいやしい存在だという考えが再び示されている。

作者スウィフトは政治の世界に身を投じたものの政争に負け、聖職者としても満足のいく立場を得ることができずに失意の中でこの本を書いたとされる。
人々を幸福にするはずの政治、宗教の世界の中で見た醜い出来事が彼を突き動かしたのだろう。

まとめ

人間の世界、小人の国、巨人の国、ラピュタ、馬の国、そのどれもがそれぞれの問題を抱えて生活している。どんな支配形態にも完璧なものはない。
それでも、僕たちは生きている。

ヤーフのように誰かに飼育されながら奪い合い騙し合って生きていくのか、ラピュタの住民のように思考だけに頼った独善的な生き方をするのか、それとも別の道があるのか。

人間嫌いになってしまう前に「考えろ、そして動け

風刺の意味合いを失ってもなお、21世紀を生きる僕たちにガリバーが語りかけている気がした。


これまで!